伝統産業

菊間瓦

今治市菊間町では、今から750年以上も前に「いぶし瓦」の製造が始まりました。湿度が高く雨が多い日本で、家を雨風や日光から守るために先人が生み出したのが、高級瓦として知られる「いぶし瓦」です。瀬戸内式の小雨温暖な気候は瓦の乾燥を早め、目の前の瀬戸内海から各地への海運が容易にできること、窯を炊くための薪が近隣の山で調達できることも、瓦産業発展の追い風となりました。

明治17年の皇居御造営には、御用瓦として納入されました。他にも神社仏閣、公共建設等にも多数採用され、「菊間瓦」として、日本を代表する伝統工芸品となっています。現在は時代の流れに合わせ、洋風住宅にマッチする平板瓦や、いぶし銀を活かした工芸品や日用品なども手がけ多様なニーズに応えています。

大島石

瀬戸内海に浮かぶ周囲約50キロの大島の地場産業として、大島石の採石・加工販売があります。大島石は江戸時代から美しく堅牢な石として知られていましたが、当時は採石技術の未熟さ、搬出の難しさなどから、一部の人のみが知る名石でした。しかし、明治から大正、昭和にかけて、採石技術の進歩・機械化などで採石量が増えるにつれ、一躍脚光を浴びるようになりました。大島石は主に墓石や建築資材などに利用されています。風化に強く、堅く、光沢が落ちにくい、変色しない、などの特長をもち、高級墓石材としても広く知られています。古くは石塔や宝篋印塔に、近代に入っては、国会議事堂、赤坂離宮、大阪心斎橋、愛媛県庁舎、愛媛県武道館などの建造物にも用いられています。

桜井漆器

今治市の桜井地域では、江戸時代後期より漆器製造の基礎が出来上がり、主要な産業として発展してきました。

桜井漆器の歴史はおよそ250年前にはじまると伝えられ、文政11年には月原門左衛門他7軒が漆器を製造していたという記録もあります。当初はいわゆる春慶塗の技法で庶民が使う漆器として安価な製品が多かったそうです。天保年間、重箱の角を櫛歯型に組み合わせ櫛指法という桜井漆器独自の技法を完成し全国に名をはせました。その後輪島や紀州からの熟練工が沈金、蒔絵等の技法を高め、現在にその伝統を受け継いでいます。

桜井地方の商人は、漆器を主な商品として西日本一帯に販路を広げていき、行商先では「椀屋さん」と呼ばれ、親しまれたそうです。この椀舟行商による需要先のほとんどは農村であり、当時は現金売りでしたが、やがて秋の収穫後に支払う掛け売り、半期払い、月賦販売へと移行していきました。そして必然的に各地に集金業務を中心とする出先の店舗が設置されるようになり、月賦百貨店へと発展してゆきます。これが、今日のクレジット商法の起源になるものと言われています。