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今治で活躍している人にインタビュー

造園工・庭師 越智 將人さん

 卓越した技術を持つ人々を厚生労働大臣が表彰する「現代の名工」。令和3年度は今治市から2人が選ばれた。全国で150人のうちの2人だ。そのうちの1人、庭師の越智將人さんにお話を伺った。

自然観が創り出す美しい庭

 越智さんは、土の自然な風合いが庭に表情を与える「版築土塀(はんちくどべい)」の第一人者だ。奈良・法隆寺の塀などにも使われた伝統的な技法を再現し、土や砂に石灰やセメントを混ぜて突き固める土塀を考案。越智さんならではの精巧な石積みとともに、自然が美しく調和する庭空間を独自の感性で創り出す。また全国各地で開催される講習会では技術の指導も積極的に行う。「現代の名工」の表彰は、そうした長年の取り組みが評価されたものだ。

 越智さんの庭は、とても"自然"だ。訪ねたご自宅の庭は、まるで静かな森の中にいるようだ。庭と周囲の山との境目を感じさせず、それでいて美しく整った心地よさがある。こういう庭はどうして生まれるのだろう?「それは自分の自然観があるから庭にできるんです。子どもの頃から山で走り回って育ったからね。」と教えてくれた。

庭師を志して独立

 越智さんは、今治市朝倉出身。朝倉村だった当時、農家の長男として生まれた。父親は兼業農家で、農閑期には建設会社や造園会社など、さまざまな仕事をしていたという。越智さんも学生時代からそうした仕事を手伝った。

 農業が盛んな朝倉地域で造園の道を選んだのは、越智さんなりの思いがある。農業は毎シーズン同じ野菜を作り、お客さまに買ってもらわなければならない。しかし庭は違う。自分で考え、形にし、その価値を決めるのも自分だ。

 造園科のある大学で基礎を学び、卒業後に独立した。学校で教えられた基本を守り、技術を覚え、できるだけきれいに造る。それがいい庭を造ると信じていたが、ある時から疑問が生まれるようになる。昔の古民家と現代の家、タイプが違う家に同じような庭を作っていていいものだろうか?

「基本」からの脱却

 36歳の時に転機が訪れる。『庭NIWA』という専門誌の取材だ。「全国何千もの庭を見ている人に、私の庭を見て批評をしてもらったんです。そこには私の庭への評価の言葉がなかった。」と、越智さんは大きなショックを受ける。だが、そこで迷いが吹っ切れた。

 いい庭を造るためには、自分の解釈で基本を脱することも必要だ。「山的なものを作ろうと、そこから作庭方法が変わっていったんです。」と、越智さんは新しい庭づくりに挑んだ。たとえば自分の生まれ育った山の風景はどんな建物にも調和する。

 ただ、頭ではわかっていても実践は難しい。造園の基本から抜け出せないのだ。それに「自分の解釈」の正解は自分にしかない。自宅で石を組んでみては現場で試し、翌日には気になって持ち帰る。その繰り返しで時間ばかりかかるが、それでも続けるしかなかった。

 「年にひとつ造るより、30も40も造る。そうなれば早いです。すべて勉強ですから、数を造ってだんだんいいものになっていくんです。」と語る越智さん。生まれ育った朝倉の山の風景を原点に、自分の感性に磨きをかけた。経験を積み63歳になった今が、庭師として成熟した一番いい年齢だという。

個展への新たな挑戦

 順風満帆にも思えるが、人生はそう簡単ではない。庭師として実力をつけた頃、越智さんはふと不安に襲われるようになった。いつも大きな仕事が入ってくるとは限らないし、同じ造園業でも田舎にいる自分と比べ、仕事の多い都会の恵まれた環境にすんなり収まる人がうらやましくも見えた。自分もだんだん年をとっていく。

 そんな折、左官職人として全国的に活躍する挾土秀平さんに会う機会があった。苦悩する越智さんに挾土さんがかけたのは、「それでも挑戦はしていかなければ」という言葉。同じ職人としてものづくりに向き合う者同士、鼓舞する言葉が越智さんに再び力を与えた。

 京都で個展を開く、そう決めて嵐山の天龍寺寶厳院へ自ら企画を提案。2007年、「獅子吼(ししく)の庭」で知られる寶厳院で念願の個展を自費で開催する。テーマは「庭空間の創造 石と土が生み出す空間で庭師の魂を表現」。地元の土や石を使って作った作品は、まさに越智さんの魂だろう。新しいことに挑戦すると、不思議と新しい発見や作品が生まれる。2010年には東京・青山善光寺でも個展を開催。庭師としての自信を取り戻した。

あきらめないこと

 越智さんが仕事で大切にしていることは?最後に尋ねてみると、「あきらめないこと」と答えてくれた。木も石も、同じものは2つとない。その中で、もう少し何かできるのではないかと最善を尽くす。どんな時も挑戦を続けてきた越智さんらしい言葉だ。そして「本当はもうひとつ個展をやりたいんです。」とも教えてくれた。いつかニューヨークでもやってみたいと夢は大きい。職人の挑戦は、これからも続いていくだろう。