今治で活躍している人にインタビュー
昨年度に続き、令和4年度も今治に「現代の名工」が誕生した。これは稀に見る快挙だという。なにしろ選ばれるのは全国で150人だけ、県内から1人出るか出ないかという狭き門だ。卓越した技能をもち、その道の第一人者と認められた人。表具師の宇野保夫さんとは、一体どんな人なのだろう。桜井の工房を訪ねた。
「この部屋はね、全部僕が作ったんよ。」案内された部屋には、宇野さんのアイデアが詰まっていた。和紙のやさしい灯りに照らされた柿渋の落ち着いた壁、着物の柄をあしらった屏風が並び、その前には手作りの木製のテーブルと椅子。椅子の上には柿渋で染められた座布団が載っている。なにもかも宇野さんのお手製だ。驚きながらテーブルにつくと、宇野さんがテーブル中央の天板を開く。すると銅板を張った収納が現れ、中には旅先で宇野さんが作ったという湯呑みやカップが収まっていた。あぁこの人は本当にものづくりが好きなのだ、と部屋に入っただけでストンと腑に落ちてしまった。
厚生労働省が行う卓越した技能者(現代の名工)の表彰とは、技能者の地位と技能水準の向上を図り、また若者が誇りをもって技能者を目指す気運を高めることを目的に昭和42年に創設された。金属加工、調理、衣服の仕立、大工など、業種により20の部門に分かれて全国から選ばれる。宇野さんは今回、「内張工、表具師、塗装工及び内装仕上工等の職業」部門で表彰され、部門の代表にも選ばれた。
評価されたのは、高度な「裏打ち」という技術で歴史的価値の高い表具の修復を行っていることだ。代表的なものが、大山祇神社の国宝館所蔵の東郷平八郎の手による書物や、幕末から明治期に活躍した書家・三輪田米山の書の修復、寺の客間の本金張りによる修復など多岐に渡る。
裏打ちとは、古書などの作品の裏に薄い和紙を張り合わせて補強することだ。霧吹きで水分を含ませて作品の歪みやシワ、たるみを伸ばす。紙は水分を含んで収縮するため、加湿と乾燥をコントロールするには高度な技術と経験が必要だ。
その前に、まず始めにしなければならないのは元の裏打ちを剥がすことだ。そんなことができるのかと思うが、水分で湿らせると糊はやわらかく溶けるため紙を少しずつ剥がしていくことができるという。すべて取り除いたら穴埋めや染み抜きで作品を補修し、やっと仕上げの裏打ちとなる。始めから終わりまで、作品を傷めないよう気の遠くなるような繊細な作業の連続だ。「古いものでも時代を落とすのはダメ。時代も残して修復するんです。」と語る宇野さん。修復とは、古いものを新品のように直すことではない。変化していく紙の色など時間の経過も残してこそ作品が完成するという。
宇野さんは今治市桜井地区出身。表具師になったのは30代に入ってからとスタートは遅かった。もともとものづくりが好きだった宇野さんは県外で土木会社を営んでいたが、跡継ぎのいない義父の表具店を継いでほしいと請われ、今治へ戻ることを決心。33歳にして新しい世界へ飛び込むことになった。表具師とは、ふすまや障子、屏風などを紙や布を使って仕立てる職人だが、そうした技術は手とり足取り教えてもらったわけではない。「技は目で盗め」と、兄弟子の池邉正義さん(平成17年度 現代の名工)に習い、身につけていったという。
しかし間もなくして、跡を継いだ宇野さんに厳しい風が吹き始める。時代の流れで日本の家が洋風化していったのだ。それまで当たり前にあった障子やふすま、床の間が消え、畳はフローリングへと変わっていく。次第に表具店が姿を消すなか、なんとかしなければと考えていた頃、手伝いに行った古い民家の解体現場で心が痛む光景を目にする。ユンボで家とともにタンスが引き倒され、中に入っていた着物が瓦礫のなかにぶちまけられていたのだ。古い着物だが大切にされてきたものだろう、何かに役立てられないかと考えた末に生まれたのが、着物をあしらった屏風だった。
そこから宇野さんの創作活動が始まった。和紙を染めて作られた「灯(あかり)」のシリーズは、洋間にも和のテイストが自然に溶け込む。リバーシブルの衝立や、柿渋で染めた木の皮や布を竹籠に張ったバッグなど、宇野さんならではのアイデアの根底には表具師の技が生きている。それを聞きつけた人の縁がつながり、北海道で個展を開くことになった。するとまた別の人から声がかかり……と、気づけば作品をもって全国をまわるようになっていた。「表具屋さんでこんなことしてるのはおらんよね。」と宇野さんは笑うが、ほかにないものを生み出したことも、「現代の名工」に選ばれた大きな理由だ。
「よっしゃ、それでええ。」今、宇野さんの工房では孫の悠平さんが、祖父の跡を継ごうと修行に励んでいる。手際よく裏打ちを行う悠平さんの手元を見つめる宇野さんの眼差しは真剣だが温かい。
「一歩前へ出る」は、宇野さんの信条だ。「なんでも作って、お客さんに見てもらうんよ。そうしたらお客さんが、これはいかん、これはええ、と教えてくれる。それが正解なんよ。」いくら自分がいいと思っても、見る人に受け入れられなければ意味がない。ものを作って評価してもらえば、次はもっといいものができる。そうして宇野さんは一歩一歩、前へと進んできた。業界には相変わらず逆風が吹くが、それでも宇野さんは言う。「表具屋さんはすべての道具が使える器用な腕を持っとんよ。だから一歩前へ出て何か作り。」世の中で働くすべての人へのエールに聞こえた。