今治の隠れた名所を、いまばりバリィさんが訪ねます
静かなお堀の水面から、パシャリ。あ、魚が跳ねた!
今治の中心にありながら、のんびりとした時間が流れる場所。バリィさんが遊びに来たのは今治のシンボル、今治城です。今日は石垣の秘密を探りにやってきました。
今治に住む人にとっては、春の花見やお正月の初詣、夜間の神秘的なライトアップなどでおなじみの場所。旅する人にとっては、瀬戸内海の海水を引き込んだ三重の堀で囲まれた名城として「日本三大水城」や「日本100名城®」にも数えられる人気の観光スポットです。その歴史は江戸時代にまでさかのぼります。
関ヶ原の戦いで功績をあげた戦国武将・藤堂高虎が、伊予の国20万石を拝領して1602(慶長7)年に築城を開始。完成したのは1608(慶長13)年頃とされます。江戸時代の初期ですね。藤堂高虎といえば、知る人ぞ知る築城名人! 手がけたのは同じ愛媛の宇和島城、大洲城のほか、江戸城、亀山城、二条城、大坂城(再建)、日光東照宮などなど、どれも歴史に残る名建築。数多くの城の築城や修築に携わったスゴイ人です。高い石垣と広い堀を得意としたと伝わっていますが、さて、今治城は?
高虎が今治城を築いたのは、なんと海岸に面した砂浜でした。今でこそ港や商店街など建物がひしめく今治城周辺ですが、当時は住む人も少ない寂しい場所。なぜわざわざ地盤の弱い砂浜に? そのワケは二つ。一つは瀬戸内海の交易路として便利なこと、もう一つは西国大名ににらみをきかすこと。さすがは築城名人、高虎は今治の地の利をズバリ見抜いていたんですね。
とはいえ、砂浜に頑丈なお城を建てることなんてできるのでしょうか? 高虎は犬走りを基礎にし、地盤を固めることでこれをクリア。見事に大城郭を造りあげます。ちなみに今治城の別名「吹揚城」は、「砂が吹き上げられる浜」に建てられたことに由来する。
この石垣、ほぼ加工せず自然の石を積み上げた「野面積み」という技法で、水はけがよく強度もあるという優れもの。見た目は荒っぽいですが、絶妙に石をかみ合わるという高い技術でできています。使われている石は、主に花崗岩や石灰岩。数は少ないけれど、白く艶のある石は、石垣にはめずらしい大理石です。
石垣の高さはどのくらいかというと、約9~13メートルと、近ごろの高層マンションと比べるとちょっと低いかな?と思いますが、砂浜に石垣を築いたと思えば、当時の技術では驚くべきこと。きっと前代未聞の築城プロジェクトだったのでしょうね。
さて、城を作るうえで一番の問題は、石垣の石を集めることだったようですが、これについてはある逸話が残っています。「石垣の石を集めた者には同じ重さの米をやる。」一計を講じた高虎は、こんな御触れを出しました。喜び勇んで人々が大石を持ち寄りますが、ある程度集まったところで「石はもう不要じゃ。石を捨てるのは良いが、船の邪魔になるゆえ海に捨てるのはいかん。さもなくば持ち帰れ。」とさらなる御触れ。渋々人々が捨てて帰った石で石垣を築いたのだとか……。
そのおかげで、敵の弓矢が届かないほどの広い堀(内堀で幅50〜70メートル!)と、圧倒的な高い石垣を配した防御の城・今治城が完成するのですから、なかなかの策略家です。こうして何もなかった砂浜が城下町として栄え、今治の歴史が始まっていったのでした。
今治城の石垣は、そのほとんどが江戸初期、高虎の時代に作られた貴重な文化財。なのですが、数十年前までは犬走りにも自由に入れたという、おおらかすぎる(!?)時代もあったそう。現在はその歴史的価値が見直され、石垣についた草木も定期的に伐採作業が行われるなど、自然環境までもが大切に守られています。
「自然環境」というのも、実は石垣には、まちなかには珍しい動植物が生息しているんです。それもアカテガニやツメレンゲといった、絶滅危惧種に数えられるような貴重なものだというから驚きです。外敵が侵入しにくく、長い間人が入らなかったこと。それが希少な動植物の住処にうってつけだったんだとか。街の中心にありながらも里山のような自然が残る"聖域"。そんな後世の城の姿を、高虎は想像していたでしょうか。敵の侵入を阻む「防御の城」は、自然の世界にも功を奏したようですね。
今治城は、どっしりとした歴史と風格を感じさせる一方で、動植物を育む優しい里山のようでもありました。知れば知るほど、バリィさんもお城の魅力にハマってしまった様子。今度は高虎の気分になって、天守閣に上がってみようかな。
今治城の正門、鉄御門に向かう土橋をのぼった先、正面の石垣中央にひときわ大きな石には名前がついています。今治城の築城総奉行で高虎の重臣、渡辺勘兵衛の名を冠した「勘兵衛石(かんべえいし)」です。縦約2.4メートル、横約4.6メートルと、この石には大きく見えることに意味がありました。今治城の表玄関ともいえる鉄御門は、城の威容を誇示する大事な場所。周りを見渡せば、周囲には他よりも大きな石が多いのがわかります。勘兵衛石は、城主の力を見せつける特別な石なのです。
幅約50~70メートル、三重の堀の囲まれていた往時の城の姿を彷彿とさせる広大な内堀。築城当時と同じように、今も内堀には海水が引かれています。潮の流れにのってボラやクロダイ、ヒラメなどの海の魚が泳ぐのは日常茶飯事。一部には真水が沸き、メダカなどの淡水魚が海の魚と共存するという不思議な堀です。
1920(大正9)年の今治市政施行を記念して作られた時報塔。かつてサイレンで時を知らせ、太平洋戦争中には空襲警報にも利用されました。その隣に佇むのは、昭和天皇が皇太子時代に今治を視察された時の行啓記念碑。ともに並んで西隅櫓台に佇み、今治の街を静かに眺めています。