今治の隠れた名所を、いまばりバリィさんが訪ねます
しまなみ海道の絶景スポットとして知られる糸山。その頂上から見えたものは?バリィさんと糸山を歩いてみましょう。
ポーズをキメたバリィさん。今日は糸山へやってきました。「糸山」と聞いてすぐにわかる人は、今治市民か、かなりの今治通かもしれませんね。標高97メートルほどの小さな山ですが、しまなみ海道を訪れたサイクリストや観光客なら必ずと言っていいほど訪れる超メジャーな山です。なぜなら、今治と尾道を結ぶしまなみ海道の今治側の起点になるのが、この糸山なのです。麓からそびえる来島海峡大橋がどどーんと目の前に迫る景色は圧巻!
糸山公園と呼ばれるこのエリアには、しまなみ海道を楽しむための施設が充実しています。頂上付近には瀬戸内のパノラマが広がる「糸山展望台」、その下には来島海峡大橋や村上海賊を紹介する展示とおしゃれな売店のある「来島海峡展望館」、そして宿泊施設やレストランを備えたサイクリングターミナル「サンライズ糸山」。どこからでもしまなみ海道の美しい風景を眺めることができます。
特にサンライズ糸山は2020年にリニューアルされてから「サイクリストの聖地」の名にふさわしい施設に進化!レンタサイクルの車種もグレードアップし、クロスバイクをはじめ電動アシスト付き自転車や子ども用マウンテンバイクなど約500台がそろいます。さらに洗車や組み立てスペースも新設され、拡張された駐車場にお目見えした「SHIMANAMIモニュメント」は新しい“映えスポット”として来島海峡大橋をバックに写真を撮る人々でいつも賑います。
麓に目を向けてみましょう。糸山の西側に見えるのが波止浜湾です。湾をぐるりと取り囲むのは、今治が誇る造船所群。建造中の巨大な船とクレーンが林立する波止浜エリアは、日本最大の海事都市・今治の造船業発祥の地です。実際に造船所に近づいてみると、その大きさと迫力に圧倒されます。
波止浜が造船の町になったのには、実は意外なものが関係していました。それは「塩」です。船と塩、まったく関係がなさそうでしょう?それは江戸前期、1683(天和3)年のこと。遠浅の波止浜湾に着目した長谷部久兵衛がこの地に塩田を開発します。すると安くて質の良い波止浜の塩は全国でみるみる評判となり、塩を運ぶ千石船で港は活況を呈します。その様子は「伊予の小長崎」と呼ばれるほどだったとか。
港に船が集まれば、必要になるのが船の修理や建造の技術です。昔から深い入り江が風待ち・潮待ちの港として利用されてきた波止浜湾は、立ち寄った船の修理を行うのにうってつけでした。この地で必然的に造船業が発達したのもうなずけますね。
広大な塩田は今では宅地などに変わり当時の面影は薄れましたが、今でも港町の隆盛の跡を見ることができます。波止浜港に佇む重厚な石造りの灯明台は1849(嘉永2)年に築造されたもの。塩買船で賑わっていた夜の港を煌々と照らしたはずです。町の入口に建つ龍神社は塩田の完成と繁栄を願って建立され、今も波止浜の人々の心の拠りどころです。その奥には蟹工船で財を成した実業家・八木亀三郎の邸宅跡が今も残ります。
こうして歩いてみると、糸山の景色がちょっと違って見えてくるようです。しまなみ海道のサイクリングブームに沸く糸山公園と、今治が誇る造船技術。そしてその麓には、塩田から始まった港町の歴史と文化が息づいていました。バリィさんも糸山がもっと好きになったみたい。ずっと眺めていたい風景ですね。
海の中からのぞく鳥居がちょっと珍しい風景です。この鳥居は波止浜の町を見守る龍神社のもの。塩田の完成とともに建立された龍神社には、近江国(滋賀県)勢田の八大龍王が鎮座しています。水の神様である龍神様の使いとして大サメがこの鳥居をくぐってやってきたという伝説も。鳥居をくぐって龍神社に参拝すればご利益があるかもしれません。
波止浜に塩田を開発するにあたり、工事の成功と潮止めの堤防の安全を願い、人柱の代わりに牛一頭が埋められました。その場所には松が植えられ、牛の霊をなぐさめる汐止明神が祀られたといいます。今でも今治市内堀の国道317号線沿いに、汐止明神と塩田開発の功労者・長谷部久兵衛の碑が残ります。
ちなみに「波止浜」の地名は、塩田の開発によって作られた堤防を「波止」、塩田を「浜」といったことが由来するという説もあります。
その昔、千石船で賑わった波止浜港でしたが現在は来島海峡に浮かぶ来島、小島、馬島を結ぶ定期船が毎日発着しています。ここから来島海峡の小さな船旅に出かけてみては?
来島では来島村上海賊の史跡めぐり、小島では日露戦争の砲台跡や司令塔などの芸予要塞跡をたどる歴史散歩がおすすめです。渡船に自転車を積めば、馬島からはエレベーターでつながるしまなみ海道のサイクリングも楽しめます。