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バリィさんの今治探訪

今治の隠れた名所を、いまばりバリィさんが訪ねます

城下町の面影残す寺町

 今治のまちなかに「寺町」と呼ばれる場所があります。たくさんのお寺が集まっているから「寺町」なのですが、どうしてお寺が集まっているのかというと……? 今回はバリィさんが寺町を訪ねます。

寺町のはじまり

 今治の寺町の歴史は、江戸時代の初期、今治城が築城された頃にさかのぼります。三重の堀で囲まれた壮大なお城を築くことにした藤堂高虎は、並行して城下町の整備も進めました。そこで設けられたのが、寺町です。

 寺町は、実は全国の城下町によく見られます。お城を中心に武家屋敷や町人が暮らすエリアがあり、寺町はその外側に配置されました。これには意味があり、敵の襲来に備える防備の役割を果たしていたのだとか。いざという時には、お寺が砦に早変わり!というわけです。

 さて、今治の寺町はというと、お堀の内側の武家屋敷、その外側の町人が暮らす城下町、さらにその外側に造られました。侍町と町人街を隔てていたのが、外堀のたもとにあった辰の口門、現在の辰の口公園です。その辰の口門からまっすぐ海岸と並行に伸びる通りが、城下一の目抜き通りであった本町。今も商店街のお店が軒を連ねていますが、さらにその北側に、東西に配置されたのが今治の寺町でした。城下を海や川で囲み、北の守りを寺町が担っていたというわけです。

 今治城に始まり、辰の口公園や本町商店街、そして寺町と、城下町の町割りが、立体感をもって現在の街並みに重なって見えてくるのがおもしろいですね。バリィさんも江戸時代にタイムスリップした気分で寺町を歩きます。テクテクテク…。

殿様のお寺 松源院

 現在寺町に集まるのは、法華寺、幡勝寺、大雄寺、隆慶寺、圓光寺、圓浄寺、大仙寺、西蓮寺、正法寺、常高寺、稱名寺と、宗派も様々な11のお寺。これだけお寺の名前が並ぶと迫力があります。でも江戸時代の中頃は、さらに多くの14ものお寺があったのだそう。当時の絵図には、今の寺町にはない松源院というお寺があります。今治藩主・久松松平家の菩提寺です。

 藩主ゆかりの寺ですから、松源院は当時の寺町では最大規模を誇ったとも伝わります。ところが華やかな時代は、はかないもの。久松家の改宗により、1872(明治2)年に廃寺になってしまいます。松源院は、現在跡形もなくなってしまいましたが、ご本尊であった阿弥陀如来坐像は、今でも寺町のお寺に残っています。松源院の住職の隠居寺であったという正法寺です。

 この阿弥陀如来坐像、なんと千両以上もの大金をかけて作られたと伝わります。1両を10万円として換算すると、現在のお金でざっと1千万円以上!さすが藩主ゆかりの寺のご本尊です。菩提寺として、いかに松源院が大切にされていたかが想像できますね。美しい阿弥陀如来坐像は、戦災からも奇跡的に守られ、今も正法寺のご本尊として大切に祀られながら、歴史の紆余曲折を物語っています。

今治の偉人たちが眠る寺

 こうして寺町を歩いていると、今治の歴史を振り返ることにもなります。例えば、大雄寺にある供養塔は、今治城を築いた藤堂家ゆかりのもの。今治藩の家老・久松家や藩の重臣たちの菩提寺として、立派な墓も立ち並びます。

 法華寺に安置されているのは、三代藩主・松平定陳の娘、幾姫の位牌。藩主やその家族の位牌は、ほとんどが戦争などの影響で焼失しているそうですが、幾姫の位牌は現存する数少ないもののひとつ。藩主ゆかりの品として大切に守られているそうです。そして円光寺に眠るのは、今治の一大産業である今治タオルの父・阿部平助と阿部家の人々……と、ちょっと挙げるだけでも、そうそうたる顔ぶれです。

寺町散策のすすめ

 なんだか難しい歴史を感じる場所でもありますが、最近では寺町を舞台にした新しい試みもありました。11のお寺それぞれに小さな店や作家、飲食店が出店した夏の夜市がそのひとつ。たくさんのお客さんが来場し、いつもと雰囲気の違う寺町の夜とイベントを楽しみました。またウワサでは「バルーン住職」という名前で、風船マスコットを作る若い住職さんもいるとか……。寺町は今治の歴史をひもとく場所である一方で、新しい風を感じられる開かれた場所にもなっているようですね。

 普段の生活ではお寺の存在は忘れられがちですが、歩いてみれば、歴史の新たな発見がありそう。今治の寺町には、そんな空気が流れていました。そうそう、寺町には、洋酒がきいたカステラの名物お菓子や老舗のお餅屋さんもあるんです。歴史好きでなくても、散策のおともにいかが?あら、バリィさんもワクワクしてきたみたい。お参りしたら、おやつにしましょうね。

バリィさんのトリビア

辰の口公園と本町商店街

 金星川のほとり、現在の辰の口公園にあったのが、侍町と町人街を分ける辰の口門。そこから寺町へ向かってまっすくのびるのが本町です。

 本町商店街は、藤堂高虎の時代に唯一商売が許された「今治八町」に由来し、歴史はなんと江戸の初期までさかのぼります。本町商店街、銀座商店街、新町商店街がT字に交差する地点には「方位盤」が置かれ、ここから本町一丁目、二丁目…、新町一丁目、二丁目…、銀座1区、2区、3区…と町丁区を数える街の基点となっているという、知られざる重要ポイントなのです。

別宮大山祇神社

 1575(天正3)年建立の拝殿は、県指定有形文化財。大三島の大山祇神社の文字通り"別宮"です。参道の大鳥居の前を走る国道を超えた先には寺町があります。

別宮山 南光坊

 別宮大山祇神社のお隣で、四国霊場55番札所。古来より大山祇神社に深くかかわっていますが、明治の神仏分離によって別宮大山祇神社と分離しました。今治中心市街地が大きな被害を受けた今治空襲では大師堂と金毘羅堂がかろうじて焼け残り、境内には「戦災の碑」が佇んでいます。