今治市の産業を紹介
8世紀の終わり、平安時代に三河国に漂着した外国船によって綿花の種子が持ち込まれ、西日本の温暖な地方で栽培されるようになりました。そして18世紀江戸時代に入り、今治地方では白木綿(綿織物)が生産されるようになりました。今治の綿製品は"伊予木綿"と別格視され、大阪や京都などで名声を得ましたが、明治時代に入ると、白木綿が次第に衰退していきました。明治19年、矢野七三郎氏が国内に流通し始めた安くて品質の高い輸入木綿や、紡績糸を使う大阪、兵庫の勢力に対抗するため、独特の風合いをもつ「伊予綿ネル」の技術を今治に導入し、綿ネル製織を開始しました。
明治27年、綿ネル業に携わる阿部平助氏が大阪で偶然出会った1枚のタオルに触発され、現在の今治市風早町に綿ネルの改造織り機4台を据え付け、タオルの製織を開始したのが始まりです。そして大正13年頃、高級なイメージをもつジャガード紋タオルが生産されるようになり、現在の日本一のタオル産地のスタートとなりました。
現在、今治は、世界最高の品質を誇るタオルの一大産地として、国内で生産されるタオルの5割以上を生産しています。現在では質・量ともに日本一を誇り、日本国内はもちろん世界中でも愛用されています。
今治が日本屈指のタオルの産地として成長してこれたのは、「良質な水」なくしては語れません。今治は、石鎚山に隣接する高縄山系を源流とする蒼社川の伏流水に恵まれています。この蒼社川の水質は、京都の鴨川に似て良質で、綿糸の染晒に理想的な軟水です。糸や生地にやさしく、タオル作りには最適。繊細で鮮やかな色を表現したり、綿本来のもつ柔らかさを十分に引き出すことができます。
「今治タオル工業組合」に加盟する今治地域のタオル製造業者119社の工業出荷額は約400億円になります。しかし、時代の流れとともにタオル生産は安価な外国産などが主流になっており、今治市を含めた国内のタオル産業は厳しい状況に立たされています。こうした背景から今治では高価で高品質な製品の生産に方向転換しつつあります。クリエイティブディレクター佐藤可士和氏をブランディングプロジェクトのディレクターとして起用し、「今治タオル」ブランドを確立する取り組みを行い、大きな成果をあげています。今治タオル産地では品質を確実に保証するため、「今治タオル工業組合」が定める独自の認定基準に合格したものでなければ今治タオルブランドのマーク&ロゴの使用を認めていません。
今治商工会議所と今治タオル工業組合は、平成19年度から、タオルについて「正しく理解」し、その知識とスキルを活かして、お客様が「手に入れたい・手にしたい」タオルを選び勧めてくれるアドバイザーの育成を目的とした、タオルソムリエ資格試験制度を実施しています。